てきすとくえすと(Lv.1)

ぶんしょうをかくれんしゅうちゅう。8/8で1歳になりました。

願うには遠すぎる母性のおはなし

 

 ”誰かの為に何かをしようと思うことは、母性、のような気がする。

 母が子を大事に思うような。

 男性や父親でも子を守る、というのは普通にあるのに、

 何故かその誰かを思って何かするという行動は、とても女性らしく感じる。

 それがとても献身的、だからだろうか。”

 

 

おはようございます。くえすとです。

久しぶりのブログなので近況報告エントリをさっきまで書いていたのですが、

気づいたら上のような文章書き始めちゃったので諦めてそんな感じのテーマで

記事書こうと思います。

 

 

きっかけは、前に記事に書いたとおりまどマギの劇場版を観たことなんですが、

それ以来、劇場版だけでなくTV版とかについても猫(同居人/人間)と

話す機会が増えて。

 

「TV版で彼女たちが願った「願い」っていうのは、本当の願いじゃなくて、副次的な

願いだし、その結果本当の願いはことごとく叶ってないよね」

という話を彼女としたのが今回の記事を書くに至った発端となります。

(あ、今回の記事はネタバレ系は一切ありません)

 

 

 

ちなみに、魔法少女まどか☆マギカというアニメは

願いを叶えた代償として「魔法少女」となり、人知れず人類の敵と戦うことになった少女たちに降りかかる過酷な運命を、優れた魔法少女となれる可能性を持ちながらも傍観者として関わることになった中学生・鹿目まどかを中心に描く。 (wikiより)

という物語です。(この説明でわかるんだろうか...)

 

 

それで、例としてこの物語に登場する美樹さやかという女の子を挙げようと

思うのですが(彼女は主人公の親友、という設定)、

彼女には上条恭介という片思い中の男の子がいるのですが、彼が事故に遭って

得意のバイオリンを弾けなくなり、さやかは「彼の腕を治すこと」を願い、

その願いと引き換えに魔法少女になって敵と戦います。

 

 

この話について、猫が

「さやかの本当の願いってきっと”恭介と結ばれること”だったのに、

”恭介の腕を治すこと”を願ったせいで、本当の願いが叶ってないよね」

って言っていて。

 

そう、物語では、さやかの願いによって恭介の腕は治ったけど、

腕が治っただけで、それがさやかの願いだとは思わない恭介は

別の女の子と付き合ってしまったりして、さやかは結局報われないんです。

 

「本当の願いじゃなくて、副次的な願いだし、その結果本当の願いはことごとく叶ってない」...

 

なんでこうなっちゃったのかな、と考えると、

 

本当の願いはあったけど、「自分より他の誰かを優先しよう」

という感情に邪魔されて、言えなくなってしまったのかな、

あるいは、「他人より自分を優先するなんて酷い奴だ」という思想に

囚われてしまったのかな、と思ったりしました。

 

 

そして、私は彼女たちのこの行動を考えると、どうにもとても少女らしいな、

と思ってしまったりしました。

 

つい本当のことが言えない、周りに合わせてしまう、誰かの為に自分を犠牲にする。

それは女性に限らず誰もが一度は経験することだと思うけど、

とりわけ”常に気を遣う”女性によく起こる現象ではないでしょうか。

 

そして冒頭にも書いたとおり、この”献身的”はどうにも”母性”に思えたりもします。

 

(母性という言葉は本来母親的、というような意味で使われるようなので

正しい使い方ではないのですが、ニュアンス的には母性本能、みたいな言葉で

伝わる気もします。)

 

 

成長途中の母性を持つ少女たちだからこそ、

悩んだり、上手く願えなかったりしちゃって、

儚いけれど、強いのかなーと思いました。

 

 

 

なんだかまとまってないけど、まとまりそうにないし

だいたい書きたいこと書いたので今日はここまでにしますー

 

■今日のBGM

 

 

祈るには卑近(ちか)く 願うには悠遠(とお)過ぎる
この世界の眩しさに焼かれている

 

鏡音リンさん【魂実装済み】のバラード。

とにかく調声がすごく人間みたいで、感情がこもっていて、綺麗。

物語の最後を締めくくるような、美しい曲。

 

ノベルゲーム用の曲とのことです。

 

 

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久しぶりに頑張って書いたら案の定ちこくちこくー!

(しごといってきます)

 

 

追伸 昨日から6連勤です。明日は7時出勤です。マジヤバにゃ!