てきすとくえすと(Lv.1)

ぶんしょうをかくれんしゅうちゅう。8/8で1歳になりました。

運命の透明なテグス

墓参りに行く、というツイートを見かけて、

わたしがどうしてお盆に実家に帰らないのかがわかった。

そこに誰の墓もないからだ。墓参りをする、という風習が自分にないからだ。

 

 

わたしの地元は北海道の端っこの方の田舎だけれど、

両親にとってそこは地元ではない。

 

 

父は道南の方の生まれで旭川で育ち、親の仕事の都合であちこちに引っ越しつつ

暮らしていた。

一方、母はそもそも北海道ではなく新潟の山村の生まれで、親の農業を手伝ったり

しつつも自立したいと思っており、18歳で上京し働きはじめた。

 

母が六本木にある食堂で働いていたとき、客として訪れたのが父親だった、

というきっかけで出会い、そこから何があったのかは聞いてないけど、

どういうわけか結婚にまで至ったらしい。

 

そして父の仕事の都合でいくつか住所を転々とした後、

最終的には北海道の片田舎、わたしの地元で暮らしはじめる。

 

 

 

……というのはすべて、わたしが生まれる前までの物語で、

わたしは生まれてから地元を出るまで引っ越したこともなかったし、

父の仕事が変わることもなかったし、

趣味も性格もそこまで合うわけでもない、

父の好きな釣りの話には興味のない母親と

母の好きなジャニーズがテレビに出たらチャンネルを変えるような父親は

それでも大きな夫婦喧嘩をするでもなく、

どういうわけかもう35年も一緒に暮らしている。

 

 

 

そんな感じの、盆に里帰りしない理由と両親の出会いの話を

仕事の合間にアイ先輩(62歳女性)にしたら、

アイ先輩は「素敵なロマンスねえ」と感想を述べた後、

 

「でも、そういうのってね、きっと生まれた時から決まってるのよ。

生まれた場所とかが全然違っても、この人とこの人がここで出会って

こうなりますよ、っていうのは、きっと最初から決まってるの」

と言った。

 

 

 

運命とか、縁とか、そういうものを感じさせる言葉は、

年を重ねた人が言うと、重みが違ってくるような気がする。

 

わたしはあんまりそういうものを信じていないけど、

それでも、

まさかこうして札幌のスーパーで両親より年上の人と一緒に働くなんて

考えたこともなかったし、

人間の姿をした猫と同居するなんて考えたこともなかったし、

自宅でひとりでこっそりと、いんたーねっとに発信する文章が

多くの知らない人に読まれるなんて考えたこともなかった。

ので、

もしかしたらあったりするのかも、とちょっぴり信じてみる。

 

 

それはきっと、運命の赤い糸みたいにはっきり見えるわけじゃないけど、

透明なテグスみたいに、

見えないけど、きらきら光って、わたしをまだ見ぬ何かに導いている。

 

わたしはそのきらきらに惹かれて、

たまに自分からリールを巻いて、引き寄せている。

 

今日も何かと出会っていく。きっと明日も、あさっても。

 

 

渦巻く

 今日も雨。台風とやらがきているらしい。

 

ここのところ、体調が悪い。

特にお腹の調子が悪くて、ごはんを食べると腹痛になる。

でもお腹は空くし食欲はある。

今にはじまったことじゃない症状で、原因や対処法はおおよそわかっているけれど

なにせ主な原因がストレスだからどうしようもない。

連勤続きで嫌でも身体に負荷はかかるし、

腹痛や疲労で思うように動けない、という症状でまた精神に負荷がかかる。

 

 

自分の身体、けっこう貧弱なので好きじゃない。

持病はあるし、持久力はないし、あちこちボロボロだし(勿論大体のことは

自分の日々の生活の結果であって、自業自得だ)。

それに対して、わたしは不思議と、自分の精神は好きだと思っている部分がある。

馬鹿だけど素直だし、負けず嫌いだけど卑怯な手は使わないし、

好きなものに出会えているし好きなものに好きと言えているし。

短所はいっぱいあるけど、割と嫌いじゃないと思えるのだ。自惚れだけど。

 

 

そうして自分の中に好き嫌いの差があるとどういう思考になるかというと、

身体そのへんに捨てたいなー、精神だけで生きたいなー、とか、そんな感じになる。

 

大体、ずるいと思うのだ。

身体は調子が悪くなるとすぐ精神に影響を及ぼす癖に、

精神が調子悪くなっても身体は動かすことができる。命令が出せる限りは。

身体は目に見えるから心配されるけど、精神は心配されない。

人間見た目が9割なんて、もう精神に対する差別用語ではないだろうか。

精神わりかし頑張ってるのに!主に仕事中とか!

すり減らしながらも身体を動かしているのにこの扱い!

 

 

実際はお互いに影響を及ぼしているのだろうけれど、

密接に関わっているんだろうけれど、

それでもそれは「密接に関わっている」で、「ひとつ」ではないのだ。

身体と精神はどれだけくっついていてもやっぱりどこか、離れている。

同じ自分であるはずなのに。

 

 

 

身体は精神のいうことを聞かないけれど、

それでも、

すり減って、苦しくなって、つらくなって、

その時に目から流れる水だけは、

精神が身体に流させている気がする。

それは精神が身体を操れているのかもしれない、

けど、なんだかあんまり嬉しくないな。

 

今日も雨。台風とやらがきているらしい。

 

 

 

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寝落ちしてしまったので朝の投稿ですが

昨夜書いていたので、昨夜考えていたことです。

 

今朝は晴れ。台風とやらは過ぎ去ったらしい。

伸ばす手は、届かなくていい 今はただ(レベルアップしました)

with BGM:「M'AIDER遭難ガール」

(聴きながら記事を読んでくれると嬉しいです)

 

 

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おひさしぶりです、くえすとです。

これまで「てきすとくえすと(Lv.0)」というブログで記事を書いてきたのですが

このたび、開設から1周年を迎えましたので

「てきすとくえすと(Lv.1)」にブログタイトルを変更

(レベルアップ)しました!改めましてよろしくお願いいたします!

 

ここ数ヵ月ブログ更新してなかったのですが、

1年経って、色々な場所で文章を書くようになったり

年齢が1つアップして、色々な体験をしたりしたので

ちょっとは経験値が溜まったような気がします。

 

 

さて、Lv.1になったということで、

これからちょっとブログの書き方変えようかなーと思っています。

 

今までこのブログではちょっとした縛りプレイとして

「記事タイトルを575にする」「1記事につき1曲おすすめ曲紹介をする」

というのを勝手にやってたのですが、

これがけっこう更新が億劫になる原因になったりもしてて、

更新できなきゃ結局意味ないじゃん!ってなったので

この2つの縛りを撤廃して、これからは好きなタイトルで好きなように

書こうと思います。

できるだけ多めに更新していく予定なのでよろしくお願いいたします!(2回目)

 

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以上お知らせで、以下、最近思ったこと。

 

 

ブログ更新はしてなかったけど、pplog(参照)とかでずっと

文章は書いていて、なんだかんだでここ半年くらいずっと

「文章を書く」ということに向き合ってきた。

 

いんたーねっとで文章を書いていると、

上手な、きれいな、面白い、美しい、かわいい、かっこいい、すごい、

そんな文章や文章を書くひととたくさん巡り合うので

負けず嫌いなわたしはそのたびに落ち込んだりヘソを曲げたり

絶望したり、承認欲求の波に飲み込まれて溺れかけたりする。

 

それを繰り返してある死にかけた日、

わたしはひとりでカラオケに行く。

わざわざ採点をつけて、案の定溺れながら、それでもわたしは、

歌を歌う。歌い続ける。そのうちに、

歌うのが何より楽しいってことに気が付く。

 

認められたくて歌うのではない。歌うということが好きで歌うのだ。

あまりに好きで、楽しくて、気が付けばわたしは歌っているのだ。

 

文章を書くということも、わたしにとっては歌と同じだって、

そうしてやっと気が付く。

当たり前すぎて、気がつかなかったけれど、

好きだから嫉妬するんだ。好きだから書くんだ。

好きだから手を伸ばすんだ。下手くそでも、上手くなりたいって思うんだ。

 

…そうして陸に上がった最近は、こんなことを考えています。

「わたしはわたしの文章を残そう。

 わたしより上手いひと、語彙をたくさん持ってるひと、いっぱいいるけど、

 下手くそで語彙が少なくて、でも好きで楽しんで書き続ける

 それは、わたしだけが書ける文章だから。」

 

悔しいから、手は伸ばし続ける。

でも届かなくていい。今はただ、書き続けていればいい。

その時間はいつか、ジャンプできる力になると思うから。

 

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with BGM:「M'AIDER遭難ガール」

 

先が無くたって、届かなくたって、今はただ叫べばいい。
絶やさないわ 救難信号

 

out of surviceさんのIA曲。

歌詞の言葉の選び方が素敵で、歌詞のリズムの当て方がポップで楽しい。

そしてポップだけどカッコイイ。歌っててもとてもハマる曲です。

 

わたしは16そこらの少女ではないけれど、

気持ちは案外、その頃と変わってないのかもなー。とか。

 

歌詞と音重ね合わせて戴冠式

with BGM:「ミルククラウン・オン・ソーネチカ」

(聴きながら記事を読んでくれると嬉しいです)

 

 

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おひさしぶりですこんばんは、ヘッドホンは体の一部だと思ってるので

うっかりヘッドホンつけっぱなしでお風呂に入りそうになるときとか

「あ、今耳つけてるんだった」とか言っちゃうタイプです。くえすとです。

 

けっこう前の話になってしまいましたが、

id:nogutyoさんがブログで書いていた記事

音楽聴くときって何を聴いてる?歌詞?音? - のぐちょの”気になる”ブログ

に、思うところが色々あったので、書いていきたいと思います。

 

 

わたしのしょうがっこうじだい

 

私は田舎の(たぶん)一般的な家庭に育ったために

娯楽がテレビ(あとはジャンプとか)くらいしかなかったので、

小学生の頃は特によくテレビを観たのですが、

中でも音楽番組が好きで、しかも当時は今よりずっと音楽番組が多かったので

週5で音楽番組観てました。

 

民放の音楽番組で流れているのはほとんどJ-POPだったので

J-POPを聴いていたのですが、音楽番組は下に歌詞字幕が表示されるというのも

あって、歌詞を見ながら歌詞重視で音楽を聴いていました。

 

遅い曲より速い曲が好き、っていうのは(当時から)あったけど

楽器は未知の領域すぎてあまり興味が持てなかったし、

何よりその当時から自分が簡単な小説もどきを書いていたこともあって、

言葉が好きだったから歌詞重視だったような気がします。

 

 

中学校に入って

 

友達ができました。

…えーと、そうじゃなくて、

ゲームが好きな友達ができました。

 

何が起こったかというと、音楽ゲームデビューしました。

当時はpop'n music(ポップンミュージック)が流行っていたので

まずは家庭用のポップンを買ったんですけど、

買ったやいなや、勧めてくれた友達よりものめり込んで、

気づけば3ヶ月ぐらい学校から帰ったらずっとやってました。

 

ポップンミュージックというゲームは、

ボタンを押すだけなのに、対応した楽器やバックミュージックの音が鳴る

というゲームなので、そこで私は初めて、

楽曲の裏にある楽器の音に耳を傾けるようになりました。

 

ポップンは様々なジャンルの音楽が収録されているのが特徴のゲームでも

あったので、私は色んな音楽に触れるうちに、歌詞ではなく、音を重視するように

なっていきました。

 

今、ボーカロイドを聴いていて

 

今、私が主に聴いているボーカロイドというジャンルの曲は、

よほど調声が上手くゆっくりな曲じゃないと、音楽を聴いているだけでは

歌詞が聞き取れなかったりします(大抵は動画に字幕がついていたり

するので、歌詞を追いながら聴くことはできます)。

 

なので私は、初めて曲を聴くときは「音」を聴きます。

そして良いと思った曲を、より読む込むために、あるいはもっと

その曲の世界に近づき触れるために「歌おうとする」のですが、

そのときに「歌詞」に触れます。

 

 

 

この記事の冒頭に貼った曲なのですが、

聴いていて本当に明るくて可愛らしくて、楽しくなってくる曲で、

いいなあ歌いたいなあって思った曲です。

 

そして歌いたいなあって思って歌詞を読んだら、

あまりに悲しくて、切なくて、

明るい曲調であればあるほど胸が締め付けられて、

それでも、だからこそ、歌いたい触れたい、って思った曲です。

 

 

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音楽の受け取り方は自由で、

歌詞を重視してもいい。音を重視してもいい。

 

でも、歌詞を音に乗せるから、歌詞と音の両方があるから、

音楽はその世界にぐっと深みを持つ。

悲しみだけじゃない切なさを、嬉しさだけじゃない喜びを、与えてくれる。

 

 

だから私は、今日もそれらに魅せられています。

 

 

今月も思いつきタイプのライター

 

多少音痴でも許される魅力的な声、

多少ミスっても許される悪気のない天然、

正直そういう要素のないわたしからすると羨ましいけれど、

それでも、そういう要素のないわたしは

それに頼らないで生きている今の道を割と誇らしく生きているし、

真っ向勝負つらいけど真っ向に勝負できないよりはつらくないので

案外この道で自分に合ってるかなー、なんて。

 

こんばんは、おひさしぶりです。

気まま更新する宣言したら先月3つしか記事書かなかったし

先月末すごい忙しかったし思わず

増税のばか!もう知らない!

とかぽえんでました。くえすとです。こんばんは。

 

 

先月末はツイートくらいしかできず、長文すらほとんど書かなかったので

文章の書き方だいぶ忘れてきていて、

数日前からようやく長文を書く練習をノートで再開したり、

冒頭のような感じのぽえむをweb上に残したりしてるんですけど、

 

書けば書くほどノートに文章書くのが楽しくなる一方、

ブログを更新する気がなくなってくることが判明したので、

 

いざ、ブログを更新しよう!

ってなったときに、

 

あれ、ブログってどんなこと書いてたっけ、

って思うようになってしまって。

 

 

 

ちょっとしたことならtwitterに書ける。

自分の思考をわかりやすくまとめるなら、今はpplogで書ける。

じゃあ、私にとってブログはなんなんだろう。

どうあるべきだろう。何を書こう。

 

 

迷った末に、今日はいくつかお気に入りのブログを巡回した。

ついでにいくつか目についたブログも読んだ。

すごくおもしろかった。

ブログの長い文章、おもしろく書くひとはほんとにおもしろい。

いいなーこういう文章書きたいなーなんて眺めてて、

過去記事もちょっと覗いてそっちもおもしろいなーなんて思ってるうちに、

 

気づいてしまった。

ブログ、物語だから面白いんだ。

 

過去から現在まで、そして未来までずっと続いていく、

個々人の毎日のささやかな一コマを切り取った文章の羅列。

そういうものが私は好きで、おもしろいと思っていて、

そして自分も今をひとつひとつ切り取って残すためにブログを書いていたんだ。

 

 

 

 

ようやく思い出せたので、

思い出せたことを残すためにブログを更新。

 

今月もそのときの気まぐれで下書きなし一発リアル切り取り更新です。

よろしくお願いいたします。

 

 

■今日のBGM

 

 

PVのテトさんの動きと、タイプライターの音の使い方が素敵なロック。

 

其れより見て見て大群衆
無修正の声を

 

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暴れ思考モンスター眠らせ踊る

こんばんはー。

お久しぶりのブログ更新です、くえすとです。

 

今日はブログ更新したかっただけなので何もまとまってないですが、

まとまりのない最近あったことや考えてることを書いていきます。

主に自分用めもですが、これもまあライフログ的ブログの使い方ということで

許してください。

 

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■最近、思考する、ということについて考えてる。

 

 日常で気がついたことをpplogに書く癖がついてきたんですけど、

 自分で書いてて、自分ってこんなに考える生き物だったのかなーと

 疑問に思うようになってきました。

 

 たとえば

やる気は出そうとして出るものじゃない。
でも、出ない原因っていうものは絶対ある。

それはたとえば疲れてる状態(休息が足りない状態)だったり、
報酬が足りない状態であったり、あるいは、強迫観念にかられるから、であったり。

だから、まずは環境を整えてみる。
そしたら案外そのへんにやる気落ちてたりする。
なくなったんじゃなくて、落としてただけだったりする。

 とか

 

自分を動かすための精神的なエネルギー源についてよく考えるのですが、
どうもエネルギーにはプラスとマイナスの2種類がある気がしています。


誰かに「ありがとう」って言われて、それが嬉しくて、
もっとがんばりたいな、って思えるプラスのエネルギー。

遠い憧れの存在に追いつけなくて、それが悔しくて、
もっとがんばりたいな、って思えるマイナスのエネルギー。

 

 みたいなことを書いたりしてたんですけど、

 これ以外にもちゃんとした文章になってないけど考えてること

 たくさんあって、しかも常に考えてるみたいな状態になってて、

 「私、こんなにいろんなこと考えてたかなー」って自分にびっくりしてる。

 

 しかも思った以上にまじめなことばっかり書いてて、

 あれ、自分ってこんなやつだったかなーとか。

 

 昨年一年で自分のことについては考えまくったつもりだったけど、

 まだまだ自分は変化していく。わけわかんない。

 まあ最終的に面白い生き物になれればいいんだけどねー。

 

 

■しごといそがしくて、経済的にも精神的にも余裕がなくて

 

 給料日が今月は14日だったんですけど、それまでは本当に精神切り詰めてて

 しかも仕事が消費税上がる関係セールやら棚替えやらで忙しくて

 毎日仕事終わって帰ってご飯食べて寝る、みたいな感じで。

 給料入ったらまた食料買い揃えたりしなきゃいけないので休みの日ばたばた

 したりして。結局今日の休みまで疲れを引きずってました。

 ので、今日は一日おとなしくPC前でだらだらしてました。

 やっと整ってきた感じ。

 

 

■疲れが抜けない原因→寝るのが嫌い

 

 っていうのがほとんどすべてなんですけど。

 私は寝るのが嫌い、というか正確には夢見るのが嫌いです。

 といっても大抵は夢見ない(というか忘れてる)んですけど。

 

 たまに見る夢って良い夢はまず起こらないし、登場人物も最近もしくは過去に

 出会って印象的だった人ばかりだし、風景も美しいわけではないし、

 色もないし、登場人物の顔すらなかったりするし

 (でも口調や雰囲気で誰かはわかる)、大体追われたり殺されかけたりする

 ので、夢見たらやだなーみたいな気持ちしかないし

 寝るのに時間費やすのもったいない!って思ってしまう。

 

 そもそもじっとしてるの苦手な性格なので、

 じっとしてられるのはPC前で何かしてるときだけだったり。。

 

 この性格は今後のために改善してかなきゃなーと思うんですけど、

 まだ方法考えるまでの余裕がないので、また今度。。

 

 

■数ヵ月後くらいまでの計画を大まかに立てた。

 

 道筋がわかってるとちょっと自信がつくというか、余裕ができるというか、

 そんな感じがするのでよかった。

 今月はずっと仕事忙しいので生活システムづくりに励もうと思ってます。

 自分(と猫)に合った暮らし方を追求できたらいいなーとか。

 

 習慣化させて生活自体に手間暇をかけないのが理想だけど、

 すぐには無理だしこれも少しずつ。がんばる。

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■今日のBGM

 

 

 今月初めからかなりリピートしてる曲。

 歌詞の世界観も好きだけど、拍子の取り方も好き。

 

 私自身が歌うのが好きで、歌って覚えるというのがあるので

 歌ってて楽しい曲は特に好きになりやすい感じがします。

 

そこで笑うあたしは どんな気持ちだったのかしら
きっときっといつまで 知らず知らず眠るだけよ

 

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ごちゃごちゃとした感情も、書き出すとすっきりシンプルになったりする。

そういうすっきりするところも、私が文章を書くのをやめられない理由の

ひとつです。

 

ここまで読んでくださった方いましたら、ありがとうございました。

おやすみなさい。

ゲーム内という現実があるという(ゲーム内管理職についてのおはなし)

 

おはようございます!

最近は今の仕事の他に某オンラインゲームのなんちゃってギルマスの仕事も

掛け持ちしててWワークで忙しいです!くえすとです!

 

といっても、本格的なMMOとかじゃなくてソシャゲだから

あんまり規模大きくない(だからなんちゃってギルマス)んですが。

 

一昨日仕事が休みで、しかもレイドボス(ギルドメンバー等、多プレイヤーで

協力して倒すHPとかが高いボス)イベントの最終日だったので、追い込みのために

前日の夜から、ボスを叩いて寝る、ボスを叩くのに必要なバトルポイントが

時間経過で回復したらまた起きて叩いて寝る、みたいなことを繰り返して

数時間ずつ寝てたせいで、一昨日はずっと、今が朝だか夜だかわからない

みたいな事態になったり面白い体験をしました。こんな体験あんまり何回もやりたくない。

 

 

ところで、オンラインゲームには大抵ギルドとかチームとかそんな感じの機能が

あって、ギルドを作った人をリーダー(もしくはマスター)、それ以外が

ギルドメンバーとして、協力してイベント等をやっていくんですが、

ギルマス業ってめちゃくちゃめんどくさいです。

 

メンバーのバランスとか考えつつギルドの目標設定したり、

メンバーの管理(しばらくゲームやってない=放置の人をどうするか等)したり、

ギルド(チーム)内にお知らせすること更新したりとか、

いざとなったら皆に「やるぞー!」って号令かけたりとか、

あと何より、先頭に立ってイベントやってかなきゃいけません。

 

ここまで書いてて思ったんですが、これ、普通に管理職の仕事な気がする。

 

舞台がオンラインであり二次元であるというだけで、

下手したらやってることも難しさも変わらないかもしれない。

(勿論管理職やったことないので推測です)

 

 

そして、私はゲームと現実をあまり切り分けられないタイプなので、

(ゲーム内は第二の現実だと思ってるし、現実はゲームの一部だと思ってる。

余談ですがホラー映画とかダメなのもフィクションとして楽しめないから)

結局ギルマス業も真面目にやっちゃうわけなんですが、コミュニケーションで

悩んだりとか、リーダーシップ発揮できなかったりとか、

不思議と、現実と同じ悩みをゲーム内でも抱えてしまったりします。

 

 

ちょっと前に、pplogにもこんなこと書きました。

 

最近いそがしくて全然ログインできないせいでメンバーにレベルガンガン追い越されて、一応リーダーなのにこれでいいのかなぁとかもっと強い人にリーダー代わってもらおうかなぁとか思い悩んでて、
それを今朝相談したんですけど、

「なにどうでもいいことで悩んでんだお前。別にお前が弱くても誰も気にしてねーよ」って返されました。

「気にするような奴は別のギルド行ったりするでしょ。お前はうだうだ言ってる暇あったらクエストやってボス倒せ」

って言われたので、
あぁ、誰も別に気にしてないんだなーと思いました。



どうでもよくないのは自分だけで、
距離を置いて他人の視点から見れば、割とほとんどのことが

どうでもいい。
ということは、自分が悩んでることって、
けっこう大したことないのかも。

本当に大した悩みなら、誰かが動いてくれたりするしね。


なんて思って少し気が楽になりました。

 

これは私をゲームに誘ってギルマスに仕立て上げた張本猫に相談した時の

話なんですけど、

 

やっぱりゲーム内でも私は、現実と同じように何かを学んだり感謝したりする

みたいです。

 

 

 

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期限ギリギリで目標が達成できた瞬間の喜びと興奮。

メンバー皆で掲示板内ではしゃぎあって「みんなありがとー!」って

叫んだりして。

苦労したり、空気悪くなったり、誰かと別れたり、また出会ったり。

イベント毎に、アイテムという思い出が積み重なっていく。

 

ゲーム内、ただのもうひとつの現実だった。

 

 

■今日のBGM

 

 

ウィナーとルーザー 明暗分けながら
悩んだ 学んだ ゲームに夢中で夜が明ける

想像の向こう側 それぞれに人生が
人生があるという

 

ピノキオさんの歌詞もピコピコな音もゲームや人間に対する愛も大好きです。

 

 

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久しぶりの更新思ったより時間かかった!

けど満足!しごといってきますー